読まずに死ねるか?
「読まずに死ねるか」は、亡くなった俳優、文筆家の内藤陳さんの書名だと記憶していますが、年齢も50代後半になってくると、やはり古典や名著と呼ばれる本をできる限り読んでおきたい気になってきます。
最近ここ1ヶ月は、ヴォルテールの「カンディード」(岩波文庫)、「哲学書簡」(光文社文庫)、「寛容論」(光文社文庫)、ニーチェの「ツァラトゥストラはこういった」(岩波文庫)、「ホーキング 宇宙を語る」(ハヤカワ文庫)、村上春樹「ラオスにいったい何があるというんですか」(文春文庫)、ケストナー「人生処方詩集」(岩波文庫)などを読みました。村上春樹は古典ではありませんが。
特にヴォルテールなどは、これまであまり私自身良く知らなかったのですが、ニュートンなどと同時代を生きた哲学者です。パスカルの「パンセ」なども「哲学書簡」で厳しく批判、あのジョン・ロックについても言及しています。
「寛容論」は、西欧社会特有のキリスト教の宗派をめぐる18世紀後半のフランスのえん罪事件を題材にした評論です。宗教が持つ非寛容がある一家の息子の死を家族の犯罪と決めつけ、死刑にしたことに対し、無罪判決をフランス社会がその後勝ち取るという内容です。
この事件を題材に、ヴォルテールは、異なる宗教、思想に対する「寛容」の重要性を説きます。宗教の持つ「非寛容」が、ある一家の運命をズタズタにする訳で、これは現代においてもパレスチナ紛争における領土帰属の問題にも通ずる問題だと思いました。
また、歴史的な人物であるヴォルテールが、「哲学書簡」で「ニュートン氏」「パスカル氏」「ロック氏」と書き、同時代に生きている人物として、歴史的な人物について言及しているのがすごく不思議な感覚がしました。そうして数百年後の人間がそれを読んで考える訳ですが、さて数百年後の人間は彼らより進歩したといえるのでしょうか。