長いものには巻かれるな
1月27日に政府は、新型コロナ感染症について、分類を「5類」に変更、「マスクは自主判断」という決定を行いました。この話題については、個人的な関心も強く、特に「脱マスク」について、この欄でもたびたび取り上げてきました。
これに関連して、共感した新聞記事がありました。その記事は、「コロナ直言」というテーマの神戸大大学院教授の國部克彦氏の意見です。
曰く「日本人は自分の頭で考えて行動するのではなく、『どのような行動をしたら社会の中で受け入れられるか』で行動する傾向が非常に強いことが3年間で浮き彫りになった。マスク着用やワクチン接種も全体の流れに乗っかるだけで、安直に解決策を求めて盲信する。それに従う人と従わない人との間には境界線が引かれ、対話も議論もない。そんな異論を許さない空気感が社会全体に出来上がってしまったように思う。」(産経新聞、2月4日付)
「全体の流れに乗っかるだけ」。至言です。
私も、なぜ昨年の春以降、ほとんどの人びとは、感染リスクが少ない屋外ですらマスクを外さないのか疑問に思っていました。そして、この現象は何か別のものに似ているなとも感じていました。それは、國部氏もこの記事で使っている「全体主義」なのです。
つまり、「長いものには巻かれろ」という発想です。この「長いもの」の正当性は、問わないか、場合によって「長いもの」は、道徳的に正しいと信じられているものです。ただ、「長いもの」=「全体」は歴史的に見て、大変悲惨な「戦争」という結果をもたらすこともあることに注意が必要です。
2020年1月頃からこの新型コロナが拡大し、主にテレビのワイドショーを中心にこのコロナウィルスの危険性が毎日のように報道されました。私も含め確かにこの未知のウィルスの正体がわからないので、テレビに出てくる「専門家」の意見を信頼して、「マスク」の着用を始め、1つの方向性に流されてきたように考えます。これは、氏が言う「国」と「個人」の間にある「社会」という目に見えない「圧力」によるものだと考えます。
この3年間のコロナ騒動を、未来への教訓にするためにも、今一度、一人一人が、今も続く「マスク着用」の是非をめぐり、「自分の頭で考えて行動」することが大切であると感じています。そして、「全体の流れに乗っかるだけ」を行動の基準とすることは、場合によっては戦前の「戦争」のような悲惨な結果をもたらしかねないことを肝に銘ずるべきです。