マイブーム「論語」にはまっております④
日常生活で指針となるべき言葉を皆さんもいろいろとお持ちであると思いますが、「論語」において、「一言で、終身、一生涯使うことができるものがありますか」という弟子の子貢の質問に孔子が答えた言葉に「恕」という一言を挙げています。「恕」とは、広辞苑によると「①おもいやり②ゆるすこと」とあります。孔子は「恕は己の心を推して人を思いやるのである。己の心に欲しないことは人も欲しないから、これを人に施し及ぼさないようにせよ。」(宇野哲人訳「論語新釈」)と述べています。つまり自分がされていやなことは、当然他人にもするな、ということです。
この「恕」という心構え、態度は、人と人、あるいはビジネス、商売の世界における企業とお客様との間で当然行われるべきもので、この心構え、態度さえ心得ていれば、人として、あるいは企業としての成長、発展が約束されるといっても過言ではないですね。しかし、現実の世界では、自分さえよければ何をしても良いということが行われることがあり、自分がされていやなことを他人にしているケースがあるように思います。たとえば、数日前の朝日新聞夕刊1面に職場内でのいじめが多くはびこっているという記事が出ていました。いじめといえば子供の世界での問題というイメージが強いのですが、パワハラ、セクハラ等のいじめ、ハラスメントが大人の世界でもはびこっているようです。この「いじめ」の問題は、まさに「恕」の感情の欠如だと言えます。
また、企業が業績を上げ、発展していくためには、常にお客さんがどうして欲しいかを考え、商品やサービスを提供していくことが必要です。数年前「顧客満足」という言葉が、ビジネス書などで流行したことがありますが、何か言葉は小難しく、かっこいいことをいっているようにも聞こえますが、つまりこれは、自分にして欲しいことを、お客さんにも商品やサービスとして行う、つまり「恕」ということですね。企業はとかく、「こんな良い商品、サービスなのだから買ってくれて当然」という、自分中心の発想に陥りがちですが、やはり顧客目線、お客さんがどうして欲しいのかを考えないと、買ってくれないのです。
かなり前にタレントの島田紳助氏が「自分がされていやなことは、人にもするな」と言っていたのを聞いて「紳助もええこというなー」と密かに思っていたのですが、実は原点はこの論語にあったのですね。
子貢問うて曰く、「一言にして以て終身之を行うべき者あるか。」子曰く、「其れ恕か。己の欲せざるところ人に施す勿(なか)れ。」(「論語」衛霊公第15)