相続・遺言を考える④~遺言書の「付言」の思わぬ効果について
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当法人の業務の中に、相続、遺言業務があります。先日も約10年前に公正証書遺言の作成のお手伝いをした方がお亡くなりになりました。私角野が遺言執行者に指定されていたので、49日法要の終了後に、相続人、関係者を前に遺言書の内容を説明することになりました。本来の相続人でない方を、財産の譲受人にした遺言であり、かなり慎重に説明を要するものでした。しかし、結果的には遺言書の内容に関係者も納得し、無事に遺言の内容に従った執行も完了しました。
昨日6月29日付けのフジサンケイビジネスアイに、この遺言に関して興味深い記事が掲載されていました。それは、「遺言の付言で円滑な相続」という見出しの、りそなビジネスサービス社長小谷氏のコメント記事です。「遺言の付言」とは、遺言の中に「遺された人に感謝の気持ちや思いを伝えることができる」いわば遺言の本体ではなく、遺言の付録部分を言います。この記事の中で、小谷氏は「遺言の付言」で、ともすれば、「争族」になりがちな「相続」のケースで、むしろ絆が深まったというケースが紹介されていました。それは、相続人同士がそれまで一度も会ったことがなかったケースで、「“付言”を通じて実際の相続財産以上の『遺言者の思い』受け取ったという気持ちに双方がなられ、その後は円滑に手続きが進みました。」(同紙、2012年6月29日付)というものです。
有効な遺言書が存在する以上、遺言者の最終意思に従って、当然に遺言の内容が実現されるべきである、というのは法律の考え方に忠実で、それが「道理」と言えば、「道理」と言えます。しかし、遺された者にとって、その遺言の内容に承服しがたい内容を含むケースももちろんあるはずです。「何で自分の相続分は少ないのか?」こうなると、遺言にそう書いてあると言っても納得できないという感情がわき、「争族」につながるのでしょうね。
ところが、その遺言の中に「遺された人に感謝の気持ちや思い」が書かれてあると、納得しない相続人を納得させる効果を生じさせるのですね。「死人に口なし」ですが、あたかも遺言者が直接相続人の「気持ち」に語りかける効果があるのでしょうね。「道理」ではない「気持ち」の部分が遺言書にあることにより、円滑に手続きが進む。これは何も「遺言」に限らず、我々が生きている日常の家族、仕事、会社の人間関係にも当てはまることだと思いました。