「牡蠣フライ」について書くことが「自分」について書くこと(村上春樹氏)
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最近買って風呂で半身浴をしながら読んでいる本は、村上春樹氏の「雑文集」(新潮社)という本です。村上春樹氏の未収録、未発表のまさに「雑文」の集まりですが、どの「雑文」も心にしみる内容が満載です。
たとえば、この収録トップの「自己とは何か(あるいはおいしい牡蠣フライの食べ方)」では、読者からの質問で、就職試験で「原稿用紙4枚以内で、自分自身について説明しなさい」という問題を出されたのだが、村上さんならどうしますかというものに対して、こう回答しています。
「自分自身について書くのは不可能ではあっても、たとえば牡蠣フライについて原稿用紙4枚以内で書くことは可能ですよね。だったら牡蠣フライについて書かれてみてはいかがでしょうか。あなたが牡蠣フライを書くことで、そこにはあなたと牡蠣フライとのあいだの相関関係や距離感が、自動的に表現されることになります。それはすなわち、突き詰めていけば、あなた自身について書くことでもあります。それが僕のいわゆる『牡蠣フライ理論』です。」(同書P22)
村上春樹氏は、私角野が掛け値なく信頼を置く作家です。学生時代から20代後半に「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」「中国行きのスロウ・ボート」「蛍・納屋を焼く・その他短編」などは、単行本やその掲載誌「群像」なども購入し、読んでおりました。興行的にはこけましたが、大学2回生の頃大森一樹監督の「風の歌を聴け」を映画館で見ましたし、現在も家の録画ハードディスクに入れております。その後の「ノルウェイの森」などの長編小説は、世間が騒げば騒ぐほど読まなくなりましたが、翻訳本、ジャズや旅行についてのエッセイ集はほとんど読んでおります。
「自分」について書くことは出来なくても、「牡蠣フライ」については書くことができる、というのは似たような表現が確か「風の歌を聴け」の冒頭にもあったような気がします。「象について語ることができても、象使いについては語ることができない。」というような表現ですね。村上春樹節ですね。
この村上春樹氏が、先日来の尖閣列島問題について、9月28日付朝日新聞に寄稿され「『我々は他国の文化に対し、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない』という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。」と述べられています。納得です。
この「雑文集」には、「エルサレム賞」の受賞の際に有名になったスピーチ「壁と卵」も掲載されています。改めて村上春樹氏のよってたつ姿勢に感動します。是非ご一読を。