マイブーム「論語」にはまっております!②
このコーナーで、マイブームは、「論語」だと書きました。この機会にこれもシリーズ化し、折に触れて、役立つ論語の言葉をご紹介していきます。
まず、このマイブームの中で目から鱗が落ちたのは、「論語物語」(下村湖人著、講談社学術文庫)で描かれる、孔子とその弟子たちとの交流です。これは、漢文調の文章とその訳という通常の「論語」解説書ではなく、作家、教育者である下村湖人の書いた物語を通して描いた「論語」です。恥ずかしながら、私はこの下村湖人という人をこの本を読むまで知らなかったのですが、「次郎物語」の作者として著名な人です。この「論語物語」は、昭和13年初出ということで、本当に古い本です。
この「論語物語」の中で、「志をいう」という一編があります。
これは、論語「公冶長篇」の一編をモチーフにした物語で、孔子が、その弟子である子路と顔淵にその志を問うた際の問答です。子路は、「政治の要職につき、馬車に乗ったり、毛皮の着物を着たりする身分になっても、友人とともにそれを乗り、友人とともにそれを着て、たとい友人がそれらをいためても、うらむことのないようにありたいものだと存じます」と答えます。そして顔淵は「善に誇らず、労をてらわず、自分のなすべきことを、ただただ真心をこめてやってみたい」と答えます。孔子は、子路の答えが、自分の立身出世を前提にして、友人を自分以下に見ていることに不満を持ち、また孔子が最も目をかけていた顔淵の答えすら、その浅はかな自負心を捨てきらないのをみて、暗然となります。そして、子路が先生の志を教えて欲しいというのに「わしは、老人たちの心を安らかにしたい、朋友とは信をもって交わりたい、年少者には親しまれたい」という平凡な答えを行います。
つまり、「老者」「朋友」「年少者」という、私たちの周りにいる人たちのことだけを考え、それらのことのみを基準にして、「自分」というものを基準にしないという考え方です。
この物語では、孔子のこの志の言葉が顔淵には響いたのに、かんじんの子路には響かず、孔子は子路のために心を砕くことになります。