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大きな地震で心配です②

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 先週起こった地震は、津波、その後の原発事故により、更に被害が拡大し、戦後最悪の災害になるようです。いろいろな方が今回の地震についてコメントを出していますが、日経ビジネスに出されていた元テレビ朝日お天気お姉さんの河合薫さんのコメントと朝日新聞に出されていたし精神科医中井久夫さんのコメントが印象に残りました。河合薫さんは、今回の地震を体験し、阪神大震災を知っていたが、それは「人ごと」でしかなかったと書き、中井さんも自身の阪神大震災の体験から「わかってたまるか」というコメントを書いておられました。

 私も神戸で地震を体験し、住んでいたアパートが半壊、避難所生活の経験をし、その当時の自分の心境に照らすと、これらのコメントが本当にわかります。やはり、人間というのは、ある事実を人から聞いた、テレビでみた、本で読んだということがあって頭では「知って」いても、実際に体験しないと「わからない」ものなのですね。95年1月17日の早朝、地震発生時、まだ独身であった私は、神戸市中央区のアパートに一人暮らしをしていたのですが、その揺れは、一生忘れられないもので、縦に突き上げられ、すぐにたちあがりましたが、まず人間ああいうときは自然に声、悲鳴を上げてしまうということがわかりました。「あー」という声です。そして家のガラスは割れ、家の中はむちゃくちゃ、よくこんなボロアパートが倒れずに建っていたなという位で、まず携帯ラジオで地震速報が出ていないか確認しましたが、大阪の震度のみが放送。「これは、違う。神戸の揺れはこんなものでない、大きい地震だから情報がでていないだけだ」と確信しました。そして、3階建てアパートの階下に行き、扉が開かなくなった2階の方の扉を開けてあげ、表に出ると、近所の人達が出てきており、このとき初めてこのアパートの人達と声を交わした記憶があります。

 ボロアパートでもあったので、余震のことも考え、その日の午前中には、近所の小学校に貴重品などを持って、避難。その後1週間ほどその小学校で避難生活を送りました。幸い神戸の地震では、電気が早く復旧したので、避難所のテレビで、報道にかじりついていたのですが、その東京発の報道内容が、地震のメカニズム等について地震学者らしき人達のコメントを中心になされているのを観て、本当に腹がたった記憶があります。すでに被害が発生し、数多くの人達が困っているのに、起きてしまった地震のメカニズムなど議論してもしょうがないのです。当時避難する人達の混乱で道は大渋滞、緊急車両や自衛隊の車も入れないような、いらだたしたい状況があった記憶があります。

 避難所では、一人で避難していたのですが、自然に近くで場所取りをしていたご家族の方と仲良くなり、いろいろとお話をした記憶があります。また、避難所では、その後カンパンやパンなどが配られ、そのための世話役的な役回りも自然に決められていきました。新聞が無料で配布され、バケツリレーや水が出ないトイレで、バケツによる汚物の排除など、やはり普段我々がいかに便利な暮らしをしているのか、実感しましたし、人と人との助け合いのすばらしさも実感しました。

 今地震で過酷な状況に置かれている人達に対して、たやすく「大変ですね」「がんばって下さい」ということは、できないと思います。心にできた傷は、結局その人が自らいやしていくしかありませんが、私の場合も弟や、妹夫婦などの援助があり、その後大阪に引っ越す形で、日常を取り戻していきました。やっぱり、「人」によってその状況を克服し、いやしていったのだと思います。その年は、季節がいつの間にか春から夏に変わっていった記憶があります。

 今回の地震も、その復興には神戸のときと同様10年、またそれ以上の年月がかかると思います。私も何らかの形で、神戸の地震で受けたときのご恩を、今回の地震の被災者の方たちにできればと考えております。


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