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読まずに死ねるか?⑥~「猫を棄てる」(村上春樹著、文春文庫)

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最近読書に関する投稿が減ってきていました。ここ数ヶ月の猛暑の影響もあり、およそ本を読む環境ではなかったのですが、猛暑もようやく収まり、図書館通いは遠ざかっていますが、久しぶりに文庫本を3冊買いました。

 その1冊が「猫を棄てる」(村上春樹著、文集文庫)(写真)です。1年以上前に単行本で図書館で借りたのですが、飛ばし読みだったので、再度読み直しました。

 これは、小説ではなく、村上氏とその父親との関係性を描いた、長めのエッセーです。1時間くらいで読める内容です。

 村上氏の少年時代に父と飼い猫を棄てるエピソードから始まります。昭和30年代のことです。自転車で少し離れた浜辺に棄てに行くのですが、家に帰ってみると捨てたはずの猫が、家に戻っているのです。不思議な話です。
 そのとき、村上氏の父は、呆然とするのですが、その後ほっとしたような顔になったようです。

 この父と村上氏は、村上氏が成長するにつれ、お互い心理的な軋轢が生じ、村上氏が結婚し、仕事を始めるようになってから疎遠になり、作家になってから20年以上絶縁状態になります。そして、父が亡くなる少し前にようやく顔を合わせ和解をします。村上氏が60歳近くの頃です。

 村上氏の父は、戦中に兵役にあり、中国の南京を攻略したこともある京都の連隊に属したこともあります。ただ父は、兵役を解除され京都帝国大学に入学し、その後国語教師になります。フィリピンやビルマの戦線に送られいたら、戦死し、村上氏もこの世に生まれていなかったかもしれないことなどが書かれています。

 父親と特に息子の衝突は、私のことを考えてもあったことで、何も村上氏の場合が特別なわけではないと思います。そして、自分の父親が、そして母親がいたから自分がいる。村上氏が言うように「我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴」(同書P115)なのです。つまり、偶然です。しかし「一滴の雨水の責務」(同書P115)が我々にはあるということを述べておられます。つまり人生の意味、生きるとは何かでしょうか。

 このエッセーのテーマは、万人に通じるものだと思いました。

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